株式会社エフ・ビー・エス
開発課 プログラマー
高 嵘
中国・安東(現・遼寧省丹東市)出身。高校1年生だった1987年、中国残留日本人孤児であった母とともに、一家で日本へ永住帰国する。埼玉県所沢市の研修施設「中国帰国者定着促進センター」で半年間、日本語や日本事情を学んだ後、日本の高校に編入。高校を卒業した1991年、貿易会社に就職。約10年間勤務し、貿易業務全般を担当する。その後、知人の経営するシステム開発会社に転職し、約7年間勤務。プログラム開発の経験を積み2007年、貿易管理システムの開発・販売やシステムコンサルティング事業を展開する株式会社エフ・ビー・エスに入社。プログラマーとして、システム開発に携わる。

「なりたい自分像」と日本
「日本で頑張れば幸せに暮らせるかもしれない」と考え、家族全員で日本に永住帰国を決めた
私が生まれたのは中国東北部の安東という、北朝鮮との国境に近い街です。安東には戦前、開拓団など大勢の日本人が住んでいましたが、戦争や戦後の混乱の中、肉親と離別して孤児となった人が多く残されました。私の母も、そうした中国残留日本人孤児の1人です。私が高校生のとき、日本政府が中国残留孤児の帰国を支援する方針を打ち出し、申請を行えば日本へ永住帰国できることになりました。
母は日本人とはいえ、中国で生まれ育ったので日本のことは全く知りません。父や兄、私も日本になじみはありませんでしたが、家族全員で話し合った結果、日本に行くことを決めました。日本は、健康保険や年金などの社会保障制度も整っているので、「頑張れば幸せになれるかもしれない」と覚悟を決めて日本に来たのです。私自身は日本に対して特に興味や関心はありませんでしたが、地元でドラマ『おしん』や映画『男はつらいよ』が上演されていて、観たことがあります。それを観て「日本は悪いところではないだろうな」と思い、家族の決定に従いました。
来日後は半年間、研修施設で日本語を学びました。会話は難しかったですが、漢字を手がかりに、文章は何とか理解できる程度まで上達し、高校受験を経て日本の高校に編入しました。両親は当時40代後半で、日本に慣れるのに苦労していましたが、7歳上の兄が技術系の仕事に就き、家族を支えてくれました。私自身も高校卒業後、貿易関係の会社に就職し、日本でのキャリアをスタートすることができました。その後、転職を経て自分のやりたい仕事を追求し、結婚をして2人の子宝にも恵まれました。「日本で頑張って幸せに暮らす」という目標は達成できたと思いますし、日本に来たことに後悔はありません。
実際に日本の企業で働くということ
日本では「はっきり言わないこと」がよしとされる。
言葉の裏にあるニュアンスを読み取るのが難しい。
私はこれまでに2回、転職しています。最初に就職した企業では貿易実務全般に携わり、次の就職先ではプログラム開発を経験。そして現在は、プログラマーとして貿易管理システムのプログラム開発を担当しています。前職で得た知識や経験を次のキャリアにうまく活かしていくことができたと感じています。
私自身は、「日本人だから」「中国人だから」という考え方はしません。「この人」という個人として相手を見ます。どこの国でも、いい人もいれば悪い人もいて、いい人の方が多いはず。人生を振り返ると、私はいい人たちの出会いに恵まれたと思っています。
ただ、日本で働き生活する上で実感しているのは、言葉の難しさです。中国東北部の人たちは本音でズバッと話しますが、日本では人を傷つけないように、はっきり言わないことがよしとされます。そのため、私としては悪意がないのに相手を傷つけてしまったり、相手に対して「信頼できる仲なのだから、遠慮せずはっきり言ってくれればいいのに」と思ったりすることもあります。日本語は敬語や丁寧語の種類が多く、同じ「いいよ」という言葉でも「OK」と「ダメ」の両方の意味で使われたりと、ニュアンスを理解するのが難しい。日本での生活は37年目になりますが、いまだに言葉でのコミュニケーションには苦労しています。
これからの「なりたい自分」とは?
家族や周囲の人と仲良く普通に暮らせることが幸せ。定年後は田舎でのんびり暮らしてみたい。
私には、大きな目標や夢はありません。目立たず普通に生活をして、家族や職場、地域の人たちと仲良くやっていけたらいいなと思っています。いまのところ、その願いは叶えられています。
子どもたちは現在、1人が社会人で1人が大学院生です。60歳の定年まで、あと4~5年。子どもたちが自立したら仕事をリタイアするつもりです。リタイア後は、どこか日本の田舎で暮らしてみたい。大きな犬を飼い、畑仕事をしながら、同郷の妻と一緒にのんびり暮らすのもいいなと考えています。旅行が好きで、家族で日本国内のいろんな場所に旅しましたが、住むなら自然がきれいな長野県あたりがよさそうだなと思っています。ずっと都会で会社員生活を送ってきたので、退職後はこれまでとは別のことをやってみたいですね。
※2024年8月に取材した内容に基づき、記事を作成しています。肩書き・部署名等は取材時のものとなります。
※2024年11月1日に、株式会社エフ・ビー・エスはヒューマンリソシア株式会社を存続会社とし合併いたしました。