第一線を走ってきたプロバスケットボール選手の
トッププレーヤーとして追求し選び抜いた5ルール

第一線を走ってきたプロバスケットボール選手の<br>トッププレーヤーとして追求し選び抜いた5ルール

プロバスケットボールプレーヤー 
大阪エヴェッサ(Bリーグ)

竹内譲次

中学校1年生の時にバスケットボール部へと入部。その後、洛南高校、東海大学ではチームを日本一へと導いた。さらに、高校時代から双子の兄・公輔(現・B1リーグ宇都宮ブレックス所属)とともにポテンシャルの高さを見込まれて、大学入学と同時に日本代表候補入り。2年生になってから本格的に代表活動を始め、ワールドカップ、アジア競技大会、アジアカップなど、数々の国際大会で活躍。しかし、その間海外の選手や諸外国との対戦で自分の力不足を痛感しながら、もっといい選手になりたいと高い目標を設定して突き進んできた竹内譲次。現在はヒューマンプランニング株式会社が運営するB.LEAGUE B1 所属のプロバスケットボールチーム「大阪エヴェッサ」でキャプテンとなりクラブを牽引している。

「なりたい自分」をつくる5ルール

大学入学のために親元を離れた18歳の時、将来はプロ選手として第一線で活躍したいと決心。207㎝の恵まれた身長を武器に、常に日本を代表する選手であり続けるためにたゆまぬ努力を続けてきたプロバスケットボール選手の5ルールとは…

① やると決めたことはやり抜く

バスケットボールのプロ選手を目指した当時、日本にはプロリーグがなく、バスケットボールを仕事にしている契約選手が徐々に増えてきた頃でした。しかし、そういった選手たちが生活できるだけの給料をもらっているのかどうかなど、僕には何の知識もありませんでした。そこで、ユニバーシアードや日本代表の合宿などで先輩たちに収入のこと、シーズンがどのように進んでいくのかなどいろいろな話を聞いて、「卒業したら絶対にプロになる」と決心し、大学卒業と同時に入団した日立サンロッカーズ(現・サンロッカーズ渋谷)とプロ契約を結びました。自分で決めたことを実現するためには、どんなことがあってもやり抜く強い気持ちが必要です。例えば、毎日の練習の中で、「今日はシュートを100本決めてから帰る」と思ったら、余程のアクシデントがない限り成し遂げて帰るということです。何事もそういう小さな積み重ねが大切だと思います。

② できるできないではなく、やるかやらないか

僕の好きな言葉です。これは“MAJOR(メジャー)”という少年漫画の主人公が言っていたセリフで、それを聞いた時にすごく腑に落ちたというか、自分の中にその言葉がスーッと入ってきました。結局、何事もそれに尽きると思います。結果が出る出ないではなくて、そのシチュエーションに対してちゃんと向き合えるかというのはすごく大事だなと。試合中がまさにその通りで、「この3ポイントシュートは入るか入らないか」ではなく、「打つか打たないか」なんです。「入らなさそうだから打ちたくない」という経験は、バスケットボール選手であれば誰しもあると思いますが、結局、それを気にするとどんどん悪い流れになる。失敗を恐れて打たないというのが一番良くないことです。ですから、目の前のことに無心に取り組むこと。無心になっている時はどんなスポーツでもそうですけど、一番結果が出やすくなります。ただそこの境地にいくまでが難しいのですが。

③ 客観的に自分を見る

何か事が起こった時に失敗したなと思うのは、自分のことしか頭になくて相手の立場になって考えていなかった……という状況です。結局、精神的に不安定だったり、別のことを引きずっていたり、ストレスがかかっていたり、イラッとしていたりと、冷静ではない時に起こりやすいんです。ですから、何か起こってしまったら自分の行動を客観的に振り返って、自分の取った行動は正しかったのか、何か言葉を発するべきだったのか、何も言わない方が良かったのかなどを考えるようにしています。そして、それを頭の片隅に記憶して、同じ失敗を繰り返さないということです。

④ 家族との時間を大事にする

家族は妻と小学校5年生の息子と4歳の娘がいます。シーズン中の土日は試合で僕が家にいないためすれ違いが多いので、寝る前の短い時間や一緒にいられる家での時間を大切にしています。小5の息子はだいぶ生意気になりましたが、「もうすぐ運動会だから」とか「競走したら、クラスで2番だった」とかいろいろなことを話してくれます。何気ない会話でも子どもは喜んでくれるし、僕も頑張るぞ!みたいな気持ちになります。やっぱり一人の息子・娘の親として、一緒にいる時は仲良くしたいと思います。それはどこの親も当たり前のことですが、特に僕の場合は土日にいないことが多いから、一緒にいられる短い時間でも極力コミュニケーションを取るよう心掛けています。シーズンオフなど時間がある時は、バスケリングのある公園で遊んだり、時には息子の方から「洋服を買いに行こう」と言ってくれたりするので、オフの日は家族で出かけるようにしています。

天皇杯で優勝した時の記者会見には息子さんと一緒にインタビューを。今では公園でバスケを一緒に。

⑤ 取捨選択をする

世の中の常識がどんどん変わっています。それはバスケットボールも同様で、栄養学やトレーニングなど、今までの常識が変わっていく中で、結局何が正解か分からなくなります。それなら自分が正しいと思ったことを突き詰めてやっていくしかないと思っているので、まずは1回試してみる。それで良い悪いの判断を自分でするということです。それと、自分がいいと思っても他人には良いかどうか分からない。それなのにそれを他の人に押し付けて「なんでやらないの」ということは若い時にはありました。でも、今はもうそれはやめようと思っています。個人個人のやり方・考え方があるから、変に勧めません。

自分のバスケットボール人生について話すと、中学校1年生でバスケットボールと出会い、大学生の時に日本代表に選ばれて、卒業後にはプロ選手になりました。バスケットボールをやっている人ならば誰しもプロへの道、日本代表入りを目指すと思いますが、みんながみんな思い通りになれるわけではありません。でも、それが失敗なのかと言ったら、それは本人が判断することです。バスケットボールを始めた1歩目が楽しかったから続けてこられたわけだし、たとえプロ選手になれなかったとしても、結果的にたくさんの仲間に出会い、バスケットボールを通して鍛えられ、学ぶこともできたはずです。もちろん、ゴールとして日本代表やプロを目指すことはいいと思いますが、それだけではないということにも目を向けてほしいです。

今後の展望

現在37歳、バスケットボール選手としてはベテランの域に入っている年齢ですが、まだまだしっかりと戦力として見られたいと思っています。もちろん加齢とともにパフォーマンスは落ちているかもしれませんが、その分、スキルの面で何か違うところを伸ばしていきたいです。僕がプロ選手となってから、大阪エヴェッサは3チーム目です。2度の移籍を経て昨シーズンから大阪エヴェッサの一員になりました。大阪エヴェッサ入りの理由は、クラブやゼネラルマネージャーの熱意を感じたこと、そして、何よりも大阪出身の自分にとっては地元チーム、キャリアの締めくくりにふさわしいクラブだからです。今シーズンはキャプテンも任されました。自分としては自分自身のやるべきことをやって、周りの人たちにはそこから何かを感じ取ってもらえればいいと思っています。だからといって感じ取ってもらうために動くのではなく、あくまでも僕はただ一生懸命に自分の仕事を自然体でやるだけです。

※2022年9月に取材した内容に基づき、記事を作成しています。肩書き・役職等は取材時のものとなります。