私の27歳

仕事も人生も、パズルのピース。きっと、ピッタリと合う場所がある

平均寿命から逆算すると、人生の3分の1を迎える「27歳」。社会で経験を積んできたけど、まだまだ一人前とは言い切れない……そんな揺れ動くこの時期をどう過ごしたのか。ヒューマングローバルコミュニケーションズで働く下中 真理子の「27歳」を追いました。さて、あなたは、どんな27歳を送っていましたか?

※2024年3月1日に、ヒューマングローバルコミュニケーションズ株式会社はヒューマンアカデミー株式会社を存続会社とし合併いたしました。

挑戦するのは、1000ピース以上のパズルだけ

▲一度決めたことは最後までやらないと気が済まないところがある私。それは仕事でもプライベートでもそうかもしれません

ジグゾーパズルは1000ピース以上のものしかやらない、って決めてます。それくらい難しくないと、張り合いがなくて。

パズルは昔からの趣味。最近は、2000ピースのパズルを作りました。夫はパズルに興味がないので、隣でテレビを見たりしているんですけど、それはそれで、各々の時間って感じでいいですね。

ピースが多いほど、手順も大切で。まずこの辺りを作って、それからこっちと繋げて……みたいな感じで、考えながら作っている過程が好きなのかも。この気持ちわかってもらえますかね?夫に言っても、「ふーん……」って感じなんですけど(笑)。

 でもこの過程って、今の仕事にも共通する部分があるように思うんですよね。 

──私の出身は福井県。

物心ついた時から本を読んだり詩を書いたりするのが好きで、文章に関わったり書籍や雑誌を作ったりするようなことをしたいなって思っていました。だから、編集やコピーライターの仕事に憧れていたんです。 

京都の大学に進学し、文学部に入学しました。ただ、情報メディア系だったこともあって、ゼミでは情報システム関連のことをやっていました。その時に、「この作業も楽しいな」って純粋に思ったんですよね。

情報システムというと、パソコンに座ってプログラミングをしているイメージかもしれないんですけど、仕様書を書いたり手順書を作ったり、進捗の管理をしたりといったことも多くて。資料作成などで文章を書くことも多いですし、モノ作り的な楽しさの部分が自分にフィットしたんですよね。

働くならこっちだなと手ごたえを感じました。

この先も「東京」にいる未来が見えなかった、27歳の自分

▲前職のみんなが書いてくれた寄せ書き。真ん中の写真は……なぜかトランプ元大統領のお面をかぶった上司です(笑)

新卒で情報システム系の会社に入り、配属は東京に。やった分だけ評価してくれる会社だったので、システムエンジニアとして経験を積むと案件のリーダーを任されることもありましたし、メンバーにも恵まれて充実していました。

休日はマッサージに行ったりショッピングをしたり、外に出る時間も楽しかったです。

ただ、ずっと頭の中にあったんです。

「私、ずっと東京におるんかな?」って。

住んでいる間は都内のいろいろな場所に行ったりもして、たしかに楽しかったんです。けれど、この先何十年もここに住んでいるイメージが、どうしてもわかなくて。 

上司に退職したいという打診をしたのは、27歳のとき。その時は「いなくなったら困る」と引き止められて、私も次が決まっているわけでもなかったので、まあ、もう少し働いてもいいかなって思ったんです。

結果的に退職したのは、それから2年後でした。

大型のプロジェクトが動くタイミングで、かつそのリーダーを打診されてしまって。ここを逃がすと決断できなくなると思ったんです。

今度は本気でした。2度目だったので上司も「わかった」って理解してくれて。

東京も、システムエンジニアの仕事も楽しかったですけど、「ここで生きていきたい」っていう場所ではなかったんですね。

だからなのか、東京に6年いても関西弁が抜けなかったんです。

会社のみんなに送り出してもらって、次のステップへ踏み出すために関西へ戻りました。

自分にピッタリの天職は、自らつかみ取った“人と人とを繋ぐ仕事”

▲前職を辞めて関西に戻ってきた時の写真。幼なじみ2人がサプライズをしてくれて、感激でした

次の仕事は、システムエンジニア以外を希望しました。 

前職で得意だった、スケジュールや人員、予算の管理などのマネジメント部分に特化しつつ、ある程度自分に裁量のあるような業務がいいなあ、という想いはあって。

でもそれがどんな仕事なのか、また分野や業種までは絞り込めていなかったので、いろいろ見ようと思っていたんです。 

とりあえず転職エージェントに登録したんですけど、そこで紹介されるのは、前職と同じ情報システム系の会社や、システムエンジニアが多くて。それで自分でハローワークに行って、仕事内容重視で探していたら、「あ、これ、やりたいことだ!」って見つけたのが今の仕事でした。

「翻訳コーディネーター」は、ビジネス文書や製品などの取り扱い説明書、論文など各種文書の翻訳を希望される方と、当社で契約している翻訳スタッフをマッチングさせる役目です。

当社は多言語翻訳に対応していて、英語圏だけでなく、イタリア、ドイツ、フランス、ポルトガル、そしてアジアなど、各国の言葉を扱います。

「この分野ならあの翻訳者さんが得意だな」とか、「納期が短いから、仕事が早いあの翻訳者さんならやってくれるかな」とか、いろいろな状況を見極めて、締め切りや品質を管理。チェッカーの確認完了後、最終チェックをして納品します。 

同じ文章でも、翻訳者さんによってまったく違う訳し方になるから、読んでいてもおもしろいんですよね。会社に来る依頼の内容をしっかり把握して、質問には迅速にレスポンスし、納期や概算見積もりなどを確認しながら翻訳者とスケジュールを調整していきます。

 ありがたいことに、日々問い合わせや発注を多くいただき、常にいくつもの案件が同時に動いている状態です。発注主にご納得いただけるように、そして翻訳者が安心して作業に入れるように細かい部分までしっかり内容を確認し、見積もり、納期、最適な翻訳者にアテンドして──。そういうのがすべてスムーズに調整できたときは、まるでパズルのピースが一致したときのような、スッキリした気持ちになりますね。

好きだった文章に関わりながら、前職で培った管理力・調整力が活かされている。

そのことが本当に嬉しくて。

今の仕事は天職なのかもしれないですね。

なじみ深い関西に戻ってきてから、急に人生が動いた

▲思えば27歳のころが、私のキャリアのひとつの分岐点になっているのかもしれません

30歳までに関西に戻りたいと思って、27歳で転職を意識しはじめてから、自分の人生が動き出したような気がするんです。

戻ってくることを心から喜んでくれた家族や友達のそばで生活できて、好きなことに特化できる仕事に就くことができて、何より、生涯を共にする夫と出会い、結婚をして……。こっちにきてからの2年は、本当に激動でした。

関西に戻りたいという気持ちは、自分自身がぴったりとはまる場所を求めていたということだった気がします。

 ──実は2020年6月に結婚式を挙げる予定でした。ただ、新型コロナウイルス感染拡大の影響もあって2度延期して、やっと今年、2021年5月に式を挙げる予定です。予定から1年経っちゃいましたね。

結婚式で、これまでお世話になった方々に感謝を伝えたい。だから友達や今の職場の仲間はもちろん、前職の同期もお招きしています。

東京を離れて、異業種に飛び込んで、この場所で自分らしく頑張っている今の私を見てもらえたら嬉しい。ここから、また新しい自分を組み立てていくパズルが始まるんじゃないかって思ってます。

すべての人が自分らしさをみつけ、いきいきできる社会をつくりたい。
ヒューマングループは一人ひとりの「SELFing」を応援します。