私の27歳

お笑い芸人として挫折しても、心の中だけは腐ってなかった

平均寿命から逆算すると、人生の3分の1を迎える「27歳」。社会の中でそれなりに経験を積んできたけど、まだまだ必死、一人前とは言い切れない……そんな揺れ動くこの時期をどう過ごしたのか。ヒューマンリソシアで働く本田 廣大の「27歳」を追いました。さて、あなたは、どんな27歳を送っていましたか?

「まったくウケへん……」ネタ見せもM-1予選もボロボロだった

▲若手が多い職場。後輩には「おもしろオジサン」扱いを受けることも……

僕、大阪でお笑い芸人やっていたんですよ。

大学時代にNSC(吉本興業の養成所)に入って、そこでボケ担当の相方と出会ってコンビを結成して。なんばhatchっていうイベントホールのところでネタ合わせとかしていましたね。

僕は昔からツッコミタイプ。

ボケは、ボケとわかってもらわないとボケにならないじゃないですか。僕、「こいつ、この流れでボケてんな」と気付いて、相方がつくったネタの筋を「そこはこうやろ?」って読み解くのが得意で。 いつもふたりで爆笑しながら稽古していました。

「これはオモロイ!」と自信満々で授業のネタ見せに挑むんですが……これが、まったくウケない。

先生にもボロクソに言われて、それまでの自信がゼロになるんです。「俺、こんなオモロないヤツやったんや……」って。

M-1とキングオブコントで決勝に出る!と意気込んでいたんですが、どっちも予選一回戦落ち。相方を変えてみたり試行錯誤しながら、あっという間に1年間が終わりました。

NSCを出てからが本当の勝負なんで、よしもと主催のライブに出たりいろいろやって、「とにかく場数を踏もう、そうしたら絶対おもしろくなる!」と思ってやるものの、笑い声が自分たちに向けられることはほとんどなく、モチベーションを保つのが難しくなっていって……

当時、お笑いに集中するために大学は休学していました。さすがにそろそろ戻った方がいいかなと復学したけど、まあ身が入らない。学費も生活費もキツくなって、結局、中退。

芸人としての先も見えなくて、もうあきらめようと決意しました。

27歳、人気の飲食店で正社員に。チャーハンや餃子と格闘の日々

▲調理服をまとった不撓不屈の料理人だったころ。得意料理は皿うどんにかける、トロトロのあんかけです

大阪をすべて引き払って、実家の熊本に戻ったばかりのときは「大丈夫か?」と優しかった親も、すぐに「この先どうするんだ?」「早めに働いたら?」ってうるさかったです。地元だと世間の目があって、ニートは肩身が狭いですからね。

ただ、職探しをするにも、芸人以外考えたことがなかったから何をやったらいいかわからない。

唯一、大学時代にアルバイトしていた飲食系の仕事ならどうにかなるだろうと探して見つけたのが、くりぃむしちゅーの上田さんのお兄さんである、上田アニさんが共同経営されている飲食店です。我ながら、やっぱり何かお笑いに近いところに行きたがるなあと思いましたね。

アルバイトで入ったんですが、無我夢中で中華鍋振って働いていたら、社員登用の話が出て。27歳で初めての正社員ですから、断る理由ないですよね。期待されていることもわかっていましたし、店の運営なんかも意識するようになりました。

アルバイトの子たちから慕われていたことは純粋に嬉しかったし、上田アニさんにも「ようがんばってんなあ」なんて気にかけてもらって、おかげでずいぶん支えられましたね。

店の後片付けをする時間には、よくラジオを聞いていました。とくにナインティナインさんのオールナイトニッポンは、ふたりのトークが心地よくて、今でも一番好きなラジオ番組です。

お笑い芸人として事務所に所属していたら、たとえば契約解除みたいなことが区切りになると思うんですが、僕は所属すらしていなくて、自分で無理やり夢を断ち切って憧れの舞台と離れた場所で働いている。それでも、こうやってテレビやラジオでいろいろな芸人さんの活躍を見ていると、おもろいなあ、やっぱかなわんなあって、純粋に思う自分がいました。

その飲食店では5年働きました。

人気店でしたし、少数精鋭で営業していたんでかなりハードでしたよ。常にオーダーに追われている、みたいな。

ただ、無我夢中で働けたので、芸人への想いを吹っ切るのにはよかったかもしれません。もう一度地元を離れて何か別のことに挑戦したいと考えられるようになっていましたしね。

幸いなことにそのタイミングで東京の知り合いに「こっちで仕事しないか?」と声をかけてもらったことで、行ってみようと決意しました。

一念発起して上京するも、就職先の会社が業績悪化で解散に……

▲ナイナイさんの「オールナイトニッポン」のクイズに当選してもらった激レアグッズ。未開封のまま大切に保管

そろそろ落ち着いてもいいんじゃないかと思うんですけど、安定しない生活がまだ続くんですよね。

仕事に誘ってくれた知り合いのツテを頼って東京に来て、イベント系の仕事を手伝ったりしながら就職活動をしてどうにか訪問営業の会社に入ることができました。

30歳から未経験の世界に飛び込むのは正直厳しい面もかなりあったんですけど、やっていくうちに契約を取れるようになって。社内の人材紹介事業の立ち上げにも関わって、建築系の紹介事業も多く手掛けるうちにそのやりがいみたいなこととか、自分なりの手ごたえとかを感じるようになりました。

そんな矢先、僕が外回りから帰ると社内が重ーーい雰囲気になっていて。「どうしたん?」と聞いたら「会社を継続できなくなったから解散する」って。確かに訪問営業の方の業績が厳しくなっていたんですが、まさか解散とは……。

なかなかの経験ですよね。とはいえ、そうなってしまったことはどうしようもないですから。気力を振り絞ってもう一回転職活動をして、今働いているヒューマンタッチ(現:ヒューマンリソシア)に巡り合います。前職で建築の紹介事業がおもしろくなっていたんで、建築系の人材紹介に特化しているこの会社は、まさにドンピシャの仕事でした。

こうやって振り返ると、いろいろありますね。

でも、芸人を諦めて熊本に帰ったときも、飲食や営業の仕事でしんどい想いをしたときも、クヨクヨした気持ちのどこかに「失敗も大変だったことも、何かしらの形で次に生きる。大丈夫や」って思っている自分がいるんです。そう思うから、絶望することなく前を向けている。これは、自分の強みかもしれないですね。

求職者に転職を紹介するとき。その姿勢は“ツッコミ”

▲相手が何を考えているか、どんな反応をするかに向き合っていたいから、人生の立ち位置はずっとツッコミ

キャリアコンサルタントってそれぞれカラーがあると思うんですけど、自分は、求職者の方ととにかくしっかり面談して、相手の想いをくむことを心がけています。

たとえば、今はわりとAIで求職者と仕事をマッチングすることが多いんですが、AIだと、建築士の資格を持った人には建築系企業だけをひたすら紹介するだけってなりがちなんですよ。でも面談をすると、求職者の反応がわかります。

履歴書上の経験や資格を見ながらも、スペックだけではないその人の方向性や得意であろうことを想像して対話していき、「それってこうじゃないですか?」と気付かせたり、たとえ話をしたり、ポイントを明確にしたり。

すると、「まさにそうです!」と驚かれたり、「やりたかったことに近いです!」と喜んでもらえたりすることも多いです。

──なんていうか、ツッコミと同じかもしれません。

お笑いだったら相手の発したボケを際立たせて笑いにつなげていくし、この仕事なら、話の流れや筋を読み解きながら導いて、いい転職につなげる。自分がやりたかったことが、結果的にできているんじゃないかって、今だから思えます。

過去に芸人目指していた、って言うと、「オモロイこと言ってよ」「漫才してみてよ」とかって無茶ぶりされること、メッチャありますよ。

嫌がる人もいると思うんですけど、僕はわりと平気っていうか「いや、漫才ってふたりでやるんやで?(笑)」とか一応ツッコミを入れながら、何かしらやっちゃいますね。

笑ってくれてその場の雰囲気がよくなるなら、わりとオッケーです。今も時々、趣味程度にネタをやったりしていますし、通勤時にも相変わらず好きなお笑い芸人さんのラジオを聞いていたり、お笑いグランプリ系の番組もチェックしていたり。たぶん、お笑いはこの先も変わらずにずっと好きなんでしょうね。

まあ、いくら「仕事頑張っているよ、順調だよ」って言っても、親はなかなか安心できないみたいで。やっぱり次の夢は結婚ですかねえ……。夢といえば、「チャーハンをつくってもつくっても一個足りない!」みたいな飲食店時代の仕事の悪夢は、なぜだか今でもよく見るなぁ。

 

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