ヒューマンライフケア株式会社
ヒューマンライフケア 高幡不動の湯 副所長
内本 文子
1977年東京都出身。4歳からヴァイオリンを始める。15歳でヴィオラに転向し、音楽大学に進学。在学中から音楽事務所に所属し、演奏会などへも出演する。卒業後は事務所の活動と並行し、音楽教室で講師として働く。2003年、結婚・出産を機にフリーランスとなり、出張レッスン、演奏活動などを行う。2005年、NPO法人に所属し、音楽療法士の勉強と活動をスタート。2019年、父の死をきっかけに介護の勉強を始める。2021年、デイサービス(通所介護)施設「ヒューマンライフケア 高幡不動の湯」に介護職のパートとして入社。2024年、介護付き有料老人ホームに転職するも、2025年5月、椎間板ヘルニアとなり退職。同年8月、高幡不動の湯に正社員として復職。現在は、副所長として勤務しながら、音楽療法の活動も行う。

SELFingシート
「なりたい自分」を明確にし、実現するために必要な事項を可視化するSELFingのサポートツール。中心に人生目標や「なりたい自分」の姿を書き、実現するために必要な要素を周囲の8マスに、人生を構成する8大分野「健康」「仕事」「経済」「家庭」「社会」「人格」「学習」「遊び」に分けて書きこむフレームワーク。自らデザインする人生の“設計図”としてヒューマングループ各社で導入されている。
なりたい自分像とは?
音楽に邁進する先で出会った
音楽療法士という仕事

ヴァイオリンを習い始めた4歳のときから、私の人生のベースには常に音楽があります。そして、小6のときに音楽で生きていくと決意して以降、私の目の前には、形を変えながらですが、常に「やりたいこと」がありました。それに挑み続けることで、音楽だけではなく、介護という新しい世界が私の前に広がったように思います。
私は現在、ヒューマンライフケア 高幡不動の湯に副所長として勤めながら、音楽療法士としても活動しています。音楽療法とは、音楽の力を通して、心身の健康を回復、向上させるリハビリテーションのことです。高幡不動の湯でも、月に2回ほど、音楽療法の時間を作り、利用者のみなさんと童謡や歌謡曲を歌ったり、ハンドベルを演奏したり、私のヴァイオリンの演奏を聴いてもらったりしています。利用者さんもスタッフも音楽を通して一体感が生まれる時間となっています。
音楽療法に出会ったのは28歳のとき。音大を卒業後、結婚、出産を機に、フリーランスの音楽家として演奏活動や講師などをしている頃でした。当時、子育てをすることで保育に興味を持ち始めていた私に、「音楽療法をやってみない?」と知人が声をかけてくれました。音楽を通じて、子どもだけでなく、障がいの有無や年齢に関わらず幅広い人たちと関わることができると聞き、音楽療法を行うNPO法人に所属し、実践で学びながら資格取得をめざしました。

音楽療法士は、講師とは違い、指示もしないし、強制もしません。医療現場や介護施設などに赴き、自分で考えたプログラムを行います。参加は自由です。それでも、音楽が鳴り始めると、その場にいるみなさんが楽しそうに歌い、体を動かしてくれる。どんな人の中にも音楽があり、それを引き出していくような仕事だと感じました。私が楽しめば、相手にも伝わる。私が一方的に演奏するのではなく、その場にいるみんなで音楽を作り上げるような時間を過ごすことで、音楽療法士の魅力にはまり、活動を広げていきました。
なりたい自分になる「仕事」の位置付け
父の死を経験し介護の世界へ。
仕事はハードでも楽しい気持ちが強かった。
もう一つの転機は、2017年、父が原発不明がんの闘病の末に亡くなったことでした。介護の知識があれば、もっと早くに緩和ケアを選択できていたのではないか、もっと違う形で父を支えられたのではないかと考えるようになりました。また、40代に入り、人生のフェーズも子育て中心から介護を行う時期へと変わるのだと実感もしました。そこで、音楽療法士の活動を続けながら、介護の勉強を始め、2021年、44歳のときに、高幡不動の湯に介護職のパートとして入社しました。介護の知識を学び、現場では実践を通してスキルを身に付ける日々が、それまで音楽の世界しか知らなかった私にとっては新鮮でした。さらに知見を深めたいと、介護付き有料老人ホームに転職。16時間勤務という夜勤もありハードではありましたが、楽しいという気持ちが優っていました。夜中に徘徊する入居者の方によくよく話を聞いてみると、母子家庭でお子さんを育てられていて、そのお子さんを探して歩きまわっていることがわかったり、家族と離れて過ごす寂しさを抱えた高齢者の方との会話をすることで、行動には理由があり、その人の人生が垣間見え、介護の仕事に対してより深く興味を持つようになっていきました。

ところが、椎間板ヘルニアを悪化させ、ドクターストップにより退職。介護職のキャリアを中断したくないと思っていた矢先、現在の上司にお声がけいただき、2025年8月に高幡不動の湯に管理職の正社員として復職することとなりました。
実は、復帰が決まった直後に乳がんが発覚し、左胸の全摘出手術を受けました。医師からは、長期休養やヴァイオリンが持てなくなる可能性を指摘されました。しかし、術後の経過がよく、2週間後には職場復帰。1ヶ月後には、ヴァイオリンも無事に弾くことができました。復帰のはやさに周りの人たちは驚いていましたが、私はとにかく働きたい、そして演奏したい。という気持ちが強くありました。介護士として、音楽療法士として働くことが、なりたい自分そのものなのだと感じています。
これからの「なりたい自分」とは?
変化していく「なりたい自分」に
常に挑戦していく
若い頃、40歳になったら実現したいと思っていたことがありました。それは、食事をしながら生演奏が聴ける「音楽のある喫茶店」を開業すること。実際に40歳になったときは、父の闘病生活が始まった時期でした。そこから、介護を学びたいという想いが強くなっていくという、全く想像もしなかった展開となりました。
抱いていた夢が人生を歩む中で変化していく。私は、それを楽しんできたように思います。人生の根幹には不動のものとして音楽があり、その上で、ライフステージに応じてやりたいことがどんどんと出てきました。失敗するかもと悩むよりも、行動あるのみ。やりたいことに挑戦することで、自ら人生を選んできたという自信になり、よりおもしろい人生を送ってきていると感じています。この生き方はこれからも変わらないと思います。

高幡不動の湯には、副所長として復帰しました。管理職は初めての経験。新しい挑戦です。今後はケアマネージャーの資格を取りたいと思っています。そして、いつか、介護施設と音楽教室が隣り合い、生演奏が流れるなかで介護サービスを提供できる空間をつくることができたらいいなと夢見ながら、音楽と介護の二刀流という挑戦を続けていきます。

※2025年12月に取材した内容に基づき、記事を作成しています。肩書き・部署名等は取材時のものとなります。