直感を信じ、偶然を必然に変えながら<br>自分の進む道を切り拓く
教育事業

直感を信じ、偶然を必然に変えながら
自分の進む道を切り拓く

HONDA ESTILO USA/SOLTILO株式会社
プロジェクトマネージャー 田中 美菜子さん

田中 美菜子(たなか・みなこ)さん

愛知県生まれ。2008年に総合学園ヒューマンアカデミー名古屋校のスポーツカレッジに入学。在学中に、産能短期大学を併修。中京大学を卒業後、渡米し、アリゾナ大学(The University of Arizona)に進学。2016年より、プロサッカー選手の本田圭佑氏がオーナーを務めるHONDA ESTILO USA/SOLTILO株式会社に入社。その後2018年より、SOLTILO株式会社海外事業部にも所属し、プロジェクトマネジャーとして、スポーツビジネスを目指す学生の夢の実現に尽力している。

プロサッカー選手でカンボジア代表監督も務める本田圭佑氏が運営するHONDA ESTILO USA/SOLTILO株式会社の海外事業部で、プロジェクトマネージャーとして活躍する田中美菜子さん。スポーツビジネスの世界で活躍している背景には、総合学園ヒューマンアカデミー名古屋校での学びがありました。

ケガをきっかけにスポーツトレーナーと出会い、進むべき道を見つける

HONDA ESTILO USA/SOLTILO株式会社で
プロジェクトマネージャーとして活躍する田中美菜子さん

田中さんが進学した高校は、地元・名古屋でも有名な進学校。入学後は、中学から続けていた陸上部に所属し、やり投げの選手をしていました。記録も非常に良く、このまま推薦を受けて大学でも競技を続けていくのだろうと思っていた田中さん。しかし、知識がないまま無理な練習を続けた結果、高校1年生の冬に右肩を壊してしまいました。

それでも、リハビリやトレーニングをしながら試合に出ていましたが、結果的に競技を続けることができなくなってしまったのです。

当時、名古屋で陸上競技の名門といわれる高校のほとんどがトレーナーを雇っていたものの、田中さんが通っていた高校にはトレーナーはいませんでした。

他校と合同練習する機会も多くあるなかで、その場にいた他校のスポーツトレーナーの方々が「記録が良いのに指導者がついていないとは、もったいない」と、肩を壊した田中さんをサポートしてくださったのです。 この時に出会った”スポーツトレーナー”という職業が、今後の田中さんの人生を決定づけるものとなります。

田中さん 「スポーツトレーナーは、選手が競技で最大限の能力を発揮できるトレーニング、コンディションづくりやケガの予防など、選手への適切なサポートをする役割です。私は、選手だった経験を生かした指導をしたい、自分のような選手をつくらないような指導者になりたいと思いました」

元々大学に進学するつもりでいた田中さんは、大学進学の前にスポーツトレーナーの専門的な知識を得たいと、総合学園ヒューマンアカデミー名古屋校スポーツカレッジへの入学を決めたのです。

田中さん 「学校を決める際、他にもいくつか候補がありました。
しかし、部活引退後に続けていたフィットネスクラブでトレーニングを担当してくれたトレーナーが全員ヒューマンアカデミーの卒業生だったことや、ヒューマンアカデミー入学後に担任となるであろう講師が同じ陸上競技をしていたことなど、いくつかの偶然が重なりました。
きっとこれは縁がある!と感じ、迷いはありませんでしたね」

さらに、ヒューマンアカデミーには短期大学の卒業資格を取得できる併修カリキュラム制度があることや、業界の最前線で活躍するプロのトレーナーが講師として数多く在籍していることも、入学を決定づける要素となりました。

田中さん 「ただ、高校が進学校だったので、大学ではなく専門校へ進学する生徒は史上初。周囲は不安に思っていたようです」

チャンスをつかみ取り、自ら道を切り拓く

自分の直感を信じ、出会った縁を大切にしてきたことが今につながる

こうして田中さんは、2008年4月に総合学園ヒューマンアカデミー名古屋校に入学。本来なら1年生は座学中心の授業で、2年生から現場実習がはじまりますが、「早く現場に出たい」と自ら希望。 1年生の段階で、提携している中京大学附属中京高校の陸上競技部に実習に出て、選手に対しトレーニングやケアを行なっていました。

しかし、知識も少なく、また技術的に未熟な部分も多くあり、何もできないのにただ現場にいる――という状況でした。そんななかでも、自分がプレーヤーだったからこそ選手が何を求めているかが分かるという強みをいかして実習に取り組んでいったのです。

この時田中さんは、短期大学卒業資格を取得できる「短大併修カリキュラム」も受講していました。なので、中京大学への編入試験に向けての試験勉強もしながら、座学、現場実習といった通常授業も受けている状態でした。

本当にめまぐるしい毎日だったと彼女は振り返りますが、学校職員の方々の手厚いサポートもあり、授業や単位をひとつも落とすことなく、NSCA-CPT(NSCA認定パーソナルトレーナー)、NESTA-PFT(NESTA認定パーソナルフィットネストレーナー)のスポーツトレーナーの資格と、短期大学卒業資格も無事、取得することができたのです。

田中さん 「スポーツの世界で働くうえでのネットワークを築けたことはもちろんですが、授業では日本のスポーツ業界の構造や現状、雇用形態や各団体の実態といった、就職してから学ぶようなことを知ることができたのは大きいですね。これはヒューマンアカデミーで学んだなかで一番の収穫だと思っています」

本田圭佑氏の言葉との出会いが人生の転機に

スポーツビジネスマネジメントを学んだアリゾナ大学の卒業式にて

ヒューマンアカデミー卒業後、田中さんは中京大学に編入。中京大学時代はさまざまな競技の現場でトレーナー業務に携わりました。
競技スポーツだけではなく、フィットネス業界でも多くの経験をしていくなかで、トレーナーになるという夢が少しずつ変化していきました。

自分の思い描く夢が具現化するにつれ、ビジネスの勉強が必要だという結論にたどり着いた田中さんは、アリゾナ大学(The University of Arizona)でスポーツビジネスマネジメントを学び、カリフォルニア大学院に進学するという4年間を過ごします。

在学中からスポーツマネジメント会社で働くと決めてはいたものの、「HONDA ESTILO USA/SOLTILO株式会社」を最初から志望していたわけではありませんでした。

ある日SNSを見ていた時に、当時、イタリアのプロサッカーリーグACミランでプロサッカー選手として活躍していた本田圭佑氏の「ビジネスとして今後、アメリカで挑戦していきたい」というコメントを偶然目にし、内容に非常に共感しました。

そこからすぐにSNSを通じて本田氏と連絡を取り、本田氏本人との面談を経て、アメリカ・カリフォルニアにあるHONDA ESTILO USA での採用が決定したのです。

田中さん 「私は、元々サッカーにそれほど興味もなく、本田のアカウントをフォローしていたわけでもありませんでした。だからこの時目にした本田のコメントは、偶然にすぎません。
しかし、その偶然も何かの縁かもしれないと考え行動を起こした――。それが今の自分をつくっているのだと思います」

2018年6月現在はアメリカから日本に戻り、グループ会社であるSOLTILO株式会社の海外事業本部で、本田氏が注力している分野のひとつである教育事業のうちグローバル教育を担当。
個人や学校などの海外研修やインターンシップに取り組み、トレーナーやスポーツビジネスを目指す学生の夢の実現に尽力しています。 田中さんはプロジェクトマネージャーとして、発案から予算策定、人材の確保、資金調達、企画の実行、収支の管理から分析まで、業務のすべてを一任されています。

田中さん 「私自身もそうだったんですが、大学1、2年生の頃はスポーツが好きだからスポーツ関連の仕事に就きたいと、まだ漠然としていて、そのなかで具体的に何がしたいかなどは見えていないことが多い。そのため、研修プランを組む時は、スポーツというジャンルのなかでアスレチックトレーナー系、フィットネス系、エンターテインメント系、メディカル系など、スポーツビジネス全体を見せるようにしています。こうして、視野を広く持ってもらえるようなプランを組むことを心がけていますね」

日本から世界へ。広い視野で考えられるきっかけを創出していきたい

「もっと日本の若い人たちは世界に目を向け、チャンスをつかみ取ってほしい」と語る田中さん

田中さんが今後目標としていること。それは、日本の若者の目が海外に向き、チャンスを自分で見つけられるようになってもらうために、金銭的な弊害を感じることなく海外に学びに行けるような仕組みを構築することです。
そこには、「日本の若者が海外に目を向け、チャンスを自分で見つけられるようになってほしい」という願いがあります。

田中さん 「グローバル社会で戦える人材を、より多く育成したいという思いがあります。私自身も日本を出て、スポーツとビジネスの代表国ともいえるアメリカで多くのことを学び、成長することができました。こういった機会があることを、より多くの後輩たちに知ってもらいたいと思っています。
ただ、海外で学ぶには金銭的な負担も大きく、私も奨学金を活用しました。せっかく海外に目を向けることができても、金銭面でチャレンジできないということを少しでもなくしていきたい。そのための仕組みを構築していきたいと思っています」

学生時代、まだ自由な時間があるうちに世界へ出て、そこでしか味わえないことを経験してもらいたい。日本だけにとどまらず、世界で活躍するチャンスを見つけるきっかけを、少しでも多く創出していきたい――。田中さんの挑戦はこれからも続きます。

※2018年11月に取材した内容に基づき、記事を作成しています。肩書き・役職等は取材時のものとなります。