ポジティブ思考で笑顔の保育園をつくる!<br>最年少園長が描く“未来”とは
保育事業

ポジティブ思考で笑顔の保育園をつくる!
最年少園長が描く“未来”とは

スターチャイルド荏田北ナーサリー
坪 梨花

横浜市の認可保育園「スターチャイルド荏田北ナーサリー」園長の坪梨花さん。苦難を乗り越え、31歳の若さながら、2018年に園長に就任した。ネガティブ思考ではなく、ポジティブ思考を大切にするヒューマンスターチャイルド最年少園長が描く、理想の保育園の”未来”とは。

1冊の本が人生を変えた!保育士の道へ

「ある本と出合い、ひとりでも多くの子どもたちを救いたいと思った」という坪

吹奏楽の部活動に明け暮れる青森県の女子高校生だった坪の人生を変えたのは、ある日図書室で手に取った1冊の本でした。
その本は、アメリカの作家デイヴ・ペルザーが著した「”It”(それ)と呼ばれた子」。
実の母に虐待を受けた自らの幼少期の体験を赤裸々に綴ったこの本は、多くの人に衝撃を与えました。そして坪もその衝撃を受けたひとりでした。

坪 「この本をきっかけに興味を持って、児童虐待や子育てを巡る環境について調べていくうちに、日本でも多くの児童虐待が起こっていることを知りました。
ひとりでも多くの子どもたちを救いたい。この想いを強くするなかで、『児童相談所の職員になりたい』という夢を持つようになりました」

明確な将来の目標を見つけた坪は高校卒業後、保育士の資格を取るために、北海道函館市内の専門学校に進学します。
カリキュラムの一環で、保育園や幼稚園、乳児院など多くの実習を体験。これも坪の気持ちを大きく動かします。

坪 「保育園実習で、子どもたちと触れ合うのがとにかく楽しくて。最初に抱いた夢からは変わりましたが、せっかく保育士の資格を取得するのだから、保育園で働いてみたいという想いが強くなりました」

卒業後、地元・青森県に戻った坪は、社会福祉法人が運営する認可保育園に入職。保育士としての第1歩を踏み出しました。
ところが、心の奥にずっと持っていた「首都圏に出て仕事をしてみたい」という想いを断ち切れず、1年で退職。神奈川県に移り住み、仕事探しをはじめました。
そして、スターチャイルドKSPナーサリー(川崎市)の保育士募集に応募します。

坪 「保育士としての経験もまだ 1年でしたし、地方から出てきたということもあって、規模が小さくてアットホームな職場がいいなと探していました。
KSPナーサリーが初めての面接だったので、気軽な気持ちで行ったのですが、私が求める職場の条件にピタリとはまって。 1カ所目にして、『ここだ!』と思いましたね」

スターチャイルドへ入社、ポジティブ保育への挑戦

ポジティブ保育を通じて、プロの保育士としての意識が芽生えてきた

2008年、坪はスターチャイルドKSPナーサリーで働きはじめました。しかし、最初は苦労も多かったといいます。

坪 「今思うと、入社したばかりのころは保育士としての経験も浅かったので、子どもたちにどのような対応、声掛けをしたらいいかも分かっていませんでした。
一緒に働くほかの先生に頼ってばかりのこともありました。プロ意識が足りなかったのかもしれません」

苦悩していた坪を熱心に指導したのが当時の園長で、現在は「スターチャイルド浦和保育園」(さいたま市)で園長を務める柴田ナヲ子先生でした。
なかでも、坪が物事をポジティブに考えるきっかけとなった出来事がありました。

坪 「スターチャイルドでは否定語を使わず、肯定形の(ポジティブな)言葉掛けをするという考え方で保育を行なっているのですが、わたしは最初それができずにいました。
そんな時、柴田先生から『子どもたちのいい点を見つけて、それを保護者にたくさん伝えるようにしたら?』とアドバイスをもらったんです。
このアドバイスを実践したところ、子どもたちとの関係性が良好になるだけでなく、保護者ともこれまで以上の信頼関係をつくることができたんです。
保護者から相談を受けるだけでなく、こちらから相談を持ちかけることもできるように。保育園がご家庭と一緒に子育てをしているという実感が持てました」

こうしてポジティブに物事をとらえる効果を実感した坪は、保育に関してもあることを実践するようになります。

坪 「子どもたちへの声掛けや対応、行事の運営方法も含めて、ほかの保育士のいいと感じた点をとにかく真似してみることにしました。最初は見よう見まねですが、やっているうちに、だんだん身についてきます。それができたら、次はその時々の状況に合わせてアレンジしてみたりして。 これによって自分の幅を広げることができました。やっと、”本物のプロの保育士”になれたかなと感じました」

主任、新園立ち上げ……苦難の連続

入社以来10年間の行事運営ノウハウが詰まったノートは20冊近くにのぼる
保育に使うおもちゃを自身で作成したことも

仕事がうまく進みはじめた2012年、KSPナーサリーのリーダー(主任)に昇進。
さらに2013年には、KSPナーサリーよりも規模が大きい「スターチャイルド荏田北ナーサリー」(横浜市)の立ち上げメンバーに抜擢され、主任に就きます。

坪 「抜擢してもらったのは、とても嬉しかったです。新設園でしたので、とにかく園の運営を軌道に乗せようと、最初はがむしゃらに働いていました」

しかし、主任としての園長のサポート、クラスの担任、行事の運営、悩みを抱える後輩保育士へのアドバイスや指導……。新設園での業務の量は、気づかないうちに、増えていました。

坪 「仕事が大変だと感じ、どうやってそれらを両立したらいいか悩むようになりました。
そんな時、自分が抱えていた気持ちを、本部社員の方やかつての同僚にも聞いてもらえたことで、だいぶ楽になりましたね。そして、たくさんの有益なアドバイスをもらい、仕事の仕方を少しずつ変えていくようになりました。業務をほかの先生方と分担したり、進め方の優先順位を付けたり。
今考えると当たり前のことなのですが、初めての経験も多く、『すべて自分でやらなければ』と思っていたのかもしれません。
この時に、周りにサポートしてもらってもいいんだ、自分が中心になって周りを巻き込んでいくことが大切なんだ、という考え方を学ぶことができましたね」

こうして最大の苦難を乗り越えた坪は、2016年4月に「スターチャイルド高津ナーサリー」(川崎市)の立ち上げに、再度主任として参画し、キャリアを積み上げていきます。
その年の冬、坪のもとに、翌年からの園長就任の打診が入ります。

坪 「打診があるまでは、まさか自分が園長になるなんて思いも寄りませんでした。自分が園長として率いていく自信がなかったですし、そのイメージもできなかったので、その時はお断りをしました」

しかし、この出来事は坪の仕事に対する意識を変えることになります。

坪 「ただ、その日を境に、いろいろな事柄を『もし自分が園長だったら』という視点でも見るようになりました。保護者対応、行事運営、後輩保育士の指導……。
だんだんと、私の経験を活かして、よい保育園づくりに貢献できるのではないかとも考えるようになりましたね」

年度が明けた2017年の春、本部から再度園長就任の打診がありました。その時には、すっかり坪の気持ちは決まっていました。
「ぜひやってみたい!」こうして新たなチャレンジの1歩目を踏み出しました。

園長就任、見えてきた理想の園の姿

最年少園長は、子どもたちだけでなく、保育士も笑顔になれる園を目指す

園長に就いたのは、かつて主任として立ち上げを担った荏田北ナーサリーでした。

坪 「主任だったころから通ってくれているお子さん、保護者の方もいらっしゃいます。『会いたかったー』と言ってくださった保護者の方とは、まさに感動の再会という感じでした」

現在は新米園長として、初めての経験の連続です。一つひとつの判断が、園全体に影響を及ぼすことがあるため、慎重になることもあります。

坪 「主任の時は、早く判断することを意識していましたが、園長は最終責任者なので、それだけではいけません。自分で1度反芻して、誤った判断をしないことを心掛けています。
それと、今まで以上に勉強するようにもなりました。医師でないので診断はできませんが、子どもに多い疾病だったり、発達における障害だったり。知っているかどうかで、保育の質は変わってきますし、保護者の安心感にもつながります。
1日も早く、今度は”本物のプロの園長”になれるよう、勉強の日々です」

理想の保育園、理想の保育の実現に向けても少しずつ、歩き出しています。

坪 「笑顔あふれる園がわたしの理想。そのためには、スターチャイルドで最初に教わった『ポジティブ』を実践する園にしたいと思っています。
保育士も前向きに仕事をして、子どもたちにも自分に自信を持つことの大切さを感じてほしいです。よりよい園にしていくためにはもちろん、保育士が年上だろうが年下だろうが関係なく、褒めるべき点は褒めますし、注意する時もあります。
ただ、一人ひとりがサポートしてくれるからこそ園が成り立っているという、感謝の気持ちを忘れることはありません」

主任の時とは、同じ轍を踏まない――。
一緒に働く保育士のサポートを受けつつ、子どもたち、保護者、地域をも巻き込んで、それぞれのパワーを活かして一緒に取り組むようになったと坪は話します。
また、それだけではなく、今では仕事とオフのバランスを取って、趣味の音楽を楽しむ時間もつくれるようになったといいます。

坪 「わたしの笑顔の源になっているのは、 SKE48の松井珠理奈さんです。
“珠理奈 神推し”で、年に 10回はライブに行っています。彼女の力強いパフォーマンスからは、元気をもらえるので、『明日からもまた頑張ろう』という気持ちにさせてくれます。
彼女は、最年少で 1期生としてグループを立ち上げ、長く引っ張ってきた存在。滅相もないですが、なんだか少しだけ自分と重ねてしまうんです」

最年少園長が描く”未来”とは――。
それは1秒後、明日でも、来年でもなく、”たった今”からはじまります。
恐れず、ためらわず、向こうが見えなくても、1歩目を踏み出していきます。

※2018年12月に取材した内容に基づき、記事を作成しています。肩書き・役職等は取材時のものとなります。