ヒューマンビジネスイノベーション

その他 2018/05/31 【インタビュー】

債務超過、大幅な減益、リストラ
苦難の中でも変わらなかった“人”への想い

ヒューマンホールディングス
代表取締役社長 佐藤朋也

ヒューマングループは、教育を中心に、人材関連、介護、ITなど多くの事業を手掛けています。その中核にあるヒューマンホールディングス株式会社の代表取締役社長・佐藤朋也は、大手証券会社を経て、ひょんなことから父が創業したヒューマングループに入社。彼が当社とともに歩んだ道は、苦難と転機の連続でした。

職場に戻るとそこには......すべては"驚きの打診"からはじまった

ヒューマンホールディングス株式会社の代表取締役社長を務める佐藤朋也
▲ ヒューマンホールディングス株式会社の代表取締役社長を務める佐藤朋也

大学卒業後、大手証券会社の日興證券株式会社(現 SMBC日興証券株式会社)に入社した佐藤朋也は、都内の支店に配属され、営業職として外交を担当。他の産業と違い、社会の動きや経済の動きを肌で感じられる証券会社の営業職にやりがいを感じていました。

そんな1988年のある日。いつものように外交を終え、支店に帰社した佐藤を待っていたのは、意外な人物でした。

佐藤 「支店に戻ると、誰かが支店長室で、支店長と話をしているんですよ。誰かと思ったら、うちの親父だったんです(笑)支店長と何を話しているのかと思ったら、親父は私に『うちの会社に来い』と。ただ証券会社の仕事も好きでしたから、支店長とも話をして、そのあと 1年くらいは勤めてから、ということになりましたけど。まさに転機ですよね」

佐藤が言う親父とは、父であり、1985年に大阪でヒューマングループを創業した佐藤耕一のこと。そんな親父から佐藤は、意外な言葉を告げられます。

佐藤 「証券会社で営業をしていましたから、当然営業職として親父の会社に入ると思っていたんです。ところが、『お前が入ったって、何の役にも立たないんだ。だから会計を勉強して来い』と言われました。幸い大学は商学部だったんですが、会計や簿記を好きになれず、マーケティングを専攻していました。それなのにまた会計や簿記をやるのか、しょうがないな、と複雑な気持ちでした(笑)」

会計の知識を学ぶため、証券会社退職後は会計事務所に転職。そこで2年間半ほどみっちりと、経営の礎となる会計を学びました。

任せられたのは、未経験の管理部門の立ち上げ

東京で管理部の責任者を担当していた頃
▲ 東京で管理部の責任者を担当していた頃

こうして佐藤は1991年にヒューマングループに入社。しかし、意外にも最初に任せられたのは、経験したこともない、東京での管理部門の立ち上げでした。当時、管理業務を手掛けていた社員は大阪にいたため、まさにイチからのスタートです。

佐藤 「具体的なミッションを親父に聞いたんです。そうしたら『経理も、総務も、人事も、財務も、全部や』という答えが返ってきて。若手の女性社員 2人くらいが一緒に担当するメンバーでしたが、普通に考えたら、全部できっこないですよね(笑)会計は学びましたが、管理部門の仕事なんてやったことがないですから。正直、当時は営業職としての仕事が楽しかったので、営業に戻りたいという後ろ向きな気持ちしかありませんでしたね」

しかし振り返ってみると、こうした佐藤の気持ちとは裏腹に、会社は佐藤を必要としていました。

佐藤 「当時のヒューマンは、親父を中心とした営業部門の発言力が非常に強くて。一方で、管理系の仕事をしている人は、営業では結果を残せなかった人。なので、営業部門に言われるがままというか、いわば "ガタガタ "の状態。資金繰りもパンク寸前でした。だから、私がそのセクションの業務を担うことで、社内のパワーバランスを取り、管理部門全体の立て直しを図ろう、ということだったのかもしれません。息子の私ですら激務で "ボロボロ "の状態になりましたから。しかし、営業部門と管理部門は会社の両輪です。会社としてさらに成長させるためには管理部門は不可欠。『だからこそ、自分が何とかしないといけない』という使命感で、がむしゃらに突っ走りました」

その後は、事業のさらなる多角化にも乗り出しました。

佐藤 「幸いにも、バブル崩壊後も、教育、人材の両事業とも順調に成長しました。その後、1997年には海外事業を、介護保険制度スタート前年の 1999年には、介護事業をスタートさせました。それでもキャッシュフローもしっかり回るようになり、安定して利益も出るようになりました」

2001年、会社の成長や管理体制構築などの実績が認められ、佐藤は満を持して社長に就任。2004年10月には、念願のJASDAQ市場への上場を果たしました。

佐藤 「上場したら、社内の状況はガラっと変わりました。上場企業は厳しい目でチェックされますから、ルールも厳しくなりますし、会計にも透明性が求められます。振り返ってみると、上場企業として、これまでよりも責任を持って経営計画を立てられるようになり、強固な管理体制が構築できました。社員も上場企業の社員になったと喜んでくれて、社内の雰囲気も明るくなりましたね」

2000年代に起こった会社の危機

京都・嵐山での座禅研修の道中の1コマ。右は創業者の佐藤耕一
▲ 京都・嵐山での座禅研修の道中の1コマ。右は創業者の佐藤耕一

順風満帆にも見える経営でしたが、2000年代後半に相次いで転機が訪れます。

佐藤 「 2006年、2007年と職業訓練給付金バブルの崩壊や、会計制度の変更による固定資産の減損処理などが重なって、教育事業が債務超過になってしまったんです。通ってくれている生徒さんがいる手前、一気に教室を閉じることもできません。いくつもの金融機関を訪問する日々。教育事業を立て直すべく、事業子会社の CEO(最高経営責任者)を兼務し、『教育事業で 5%の利益を出す』という 3年間の経営立て直し計画を提示しても、なかなか信用してもらえませんでした。なんとか融資してくれる銀行が 2行見つかり、難局を乗り切ることができました。その後、計画を達成すると次第に信用を得られるようになり、その後は、利益の半分以上を教育事業で出せるほどまでに業績が回復しました」

主力の人材事業も、2008年のリーマン・ショックなどを受けて苦難のときを迎えます。

佐藤 「一番苦しかったのが、労働者派遣法の政令変更に伴う調査が入って、人材事業を手掛ける子会社に業務改善命令を出されたことですね。そこで、 2009年 3月期に 533億円あった人材派遣事業の売上が、 2012年 3月期にはおよそ半分にまで落ち込みました。大幅な減益です。社員を大切にしてきた会社ですが、このとき断腸の思いでリストラに踏み切り、耐え忍びました。本当に波乱万丈な日々でしたが、この経験があったからこそ、外的要因に対するリスク管理など、体制の強化につながった面もあるのかなと、今は思っています」

業績は急回復、それでも会社のDNAは変わらない

経営の危機を乗り越え、再び成長軌道に。新入社員へのメッセージにも力がこもる
▲ 経営の危機を乗り越え、再び成長軌道に。新入社員へのメッセージにも力がこもる

こうした危機を乗り越え、ヒューマンホールディングスの業績は回復。2018年3月期まで6期連続で増収を達成し、2017年3月期には、2009年3月期を上回り過去最高の売上高を更新するまでに成長しました。

佐藤 「業績は回復してきました。しかし、市場の動向は楽観できません。昨今は国内の人口減少が叫ばれており、このまま手をこまぬいていては特に教育事業が大きな打撃を受けると言われています。しかし、私たちはこれをひとつのチャンスと考えています。私たちのアセットの活用を考えると、人口減少問題の解決方法はいくつかあるからです。 1つめは、教育して人材の質を上げること。 2つめは、海外から人材に来ていただくこと。そして 3つめが、 ITにより生産性を上げること。私たちはこの 3つを進めていこうと考え、動き出しています」

しかし、どんなに会社の規模が大きくなっても、社会環境が目まぐるしく移り変わっても、佐藤の経営哲学には、大切な考え方があります。

佐藤 「ヒューマングループの母体は、あくまでも教育です。人を育てること、そして、教育を受けた人材が学んだことを活かして働き、社会を支えられるよう、その場所とチャンスを、世の中に創り出すことをミッションとしています。創業以来守ってきた、『為世為人(いせいいじん)』、『原点は人である』という企業理念は、いわば私たちの DNAのようなもの。これからも変わることはありません」

私たちヒューマンホールディングスは、会社の企業理念の中で、ステークホルダーの優先順位を、1にお客様、2に社員、3に株主、最後が経営陣、と定めています。

私たちはこれをつくった当時から、その思いを変えていません。会社の目指すべき方向をしっかりと見据えて、お客様や社員とともに歩んでいく。そんな企業でありたいと思っています。

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